気になる歴史上の人物 ベスト5!

                  <第五位>は・・・
           
<槍の名手> 本多平八郎忠勝 です

東海地方が誇る英雄の一人です。
出身地は三河国岡崎(愛知県岡崎市西蔵前町)で、
徳川四天王の一人として主君の徳川家康の身を護衛しながら銘槍「蜻蛉切」を振るった勇者で、50数回もの戦闘に参加しながら一回もかすり傷も負わなかった人です。
常に謙虚かつ強靭な精神を持ち、身体は意外と小柄な方だったそうです。
私の同志の
芹沢鴨葱氏はその本多平八郎忠勝の御子孫らしく、その縁もあって私の好きな人物の一人です。

                  <第四位>は・・・
      
<心優しき新撰組幹部> 山南敬助 です

新撰組の副長、総長を勤めた人物です。性格は温厚で人望が篤かった人です。
剣の腕前もあり「
小野派一刀流」剣術と「北辰一刀流」剣術などを習得していて、多くの人達と親交があったそうです。しかし、謎の多い人でもありました。
出身は陸奥国
仙台藩で父は剣術師範をしていたそうですが、藩士名簿を見ても山南家の名前が見られない事から、旗本か格の高い家の出身の可能性があります。山南さんの家紋は立ち葵の紋で、これは本多忠勝の本多家や格の高い家しか使用できない紋です。
最期も悲劇的で、恋人の
明里との別れの話は本当に泣けます。

                  <第三位>は・・・
          
<裸足の勇者> 兼松正吉 です

織田信長の側近として活躍して後に尾張藩の藩士になった人です。
織田家や当時の尾張国、兼松家の歴史を調べる上でとても重要な資料である「
兼松文書」を書いた人物でもあります。
私は個人的に御子孫の方々と親交がある縁もありまして、兼松正吉の研究を少ししています。
越前国の合戦の時、目の前で裸足のまま奮戦した姿に感動した信長は、自分の履いていた草鞋を正吉に与えたそうです。
彼の肖像画が名古屋市の「
名古屋市博物館」にあります。その肖像画には信長から下賜された草履を鎧に付けて座っている姿が凛々しく描かれています。

                  <第二位>は・・・
    
<明治を生きた新撰組隊士> 越後三郎 です

彼が
新撰組に在籍した期間は短く、本当は長州方のスパイだったそうです。
名前が何度も変わったようで、凄く危ない橋を渡り続けた人なんだな〜と思う人です。
私が彼に興味を抱いたのは、とある新撰組関係本に明治時代の越後三郎の消息について記された事を読んだ時です。
その話が微妙に私の祖母の家に伝わる話に似ており、気になりました。もしかしたら、越後三郎の子孫かも?と言う妄想をしながら、新撰組研究をしている明智新八です。

               そして、<第一位>は〜
    
<挙母藩脱藩の新撰組幹部> 安藤早太郎 です

やっぱりな〜との声もあるかもしれませんね。安藤早太郎は東海地方誇る地元の英雄です。
三河国
挙母藩(愛知県豊田市)出身で弓の名手であった早太郎は、新撰組の結成時代からの幹部でした。
しかし、
池田屋事件で裏口を固める指揮官として活躍するも、必死に逃げてくる敵の攻撃を防ぎきれずに部下と共に負傷し、その傷が元で亡くなってしまいました。
彼の研究をすると、地元では意外な位の資料が出てきて、同士の
芹沢鴨葱氏と共に嬉しい悲鳴をあげたりしています。さすがは名古屋新撰組同好会結成きっかけの人物ですね(笑)





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