愛知県豊田市高橋地区の住宅地に大きな岩があります。その形から烏帽子岩と呼ばれていますが、戦国時代にこの岩の周辺で激しい合戦がありました。
永禄元年(1558年)この地で車坂合戦(寺部合戦)が起こりました。
当時この寺部近辺と寺部城を統治していた豪族の鈴木日向守は名将と謳われた人物で、情勢から尾張の織田家に組していた武将でした。
今川家は鈴木氏が治める寺部を勢力下に入れ、織田家に圧力をかける為に戦いをしかけました。
その先鋒部隊に元服したばかりで今川家の人質となっていた松平元康(徳川家康)を派遣しました。元康はこの戦が初陣でした。そして激戦だった車坂合戦において元康はこの烏帽子岩に座って采配を振るいました。
家康の初陣は激戦だったものの勝利し、初陣を飾っています。
その後の永禄六年(1563年)四月二十日に戦った寺部、車坂、水間の合戦で家康は完全に勝利し、寺部城を陥落させました。
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車坂の烏帽子岩
松平元康、岩に座り指揮を執る!