大岡越前統治の地!

西大平陣屋

築城人物     大岡越前守忠相
         寛延元年(1748年)建築
主な城主     大岡氏 (西大平藩)
建物の種類    陣屋

関係人物     大岡越前守忠相
         

場所       愛知県岡崎市

東名高速岡崎インターから住宅地が多い旧東海道方面へ向かうと男川小学校があります。その男川小学校の隣に立派な門が見えます。そこが、かの「大岡裁き」で有名な大岡越前守忠相が統治した西大平藩の陣屋跡です。
住宅地の中にあった為にたどり着くまでにかなり迷いましたが、陣屋跡は岡崎市が整備していて、小さいながら大変綺麗な公園となっていました。近所の人達の憩いの場所となっていて、私が訪れた時も近所の方が犬の散歩をしていて大変心が和みました。


西大平の地に藩が立藩されたのは、寛延元年(1748年)閏十月一日に三河國三郡4080石を加増されて、所領の多い三河の西大平に陣屋を設けて立藩しました。

初代藩主の
大岡忠相は将軍の徳川吉宗のご学友の仲で、吉宗からは最も信頼された人でした。決して身分の高くない旗本の出でしたが、将軍吉宗は彼の才能を大いに愛し、寺社奉行をはじめ数多くの幕府の重役を歴任させました。それは異例の人事でしたが、その分忠相が優秀だった事を物語っています。
その功績を認められてついに1万石の大名になりました。時に72歳。しかし3年後、本領の西大平の地を踏むことなく亡くなりました。
藩主は7代続き幕末まで西大平を統治しました。

余談ですが、大岡家は西大平に立藩された後も江戸に定府した大名家でした。
わかり易く言うと、常に江戸にいる為に参勤交代をしなかったのですが、本領の三河西大平には滅多に行かなかったのです。その為に本領の西大平では多い時でも、
郡代1人郡奉行1人代官2人手代3人郷足軽5人程度しか役人が居ませんでした。何とも寂しい感じがします。










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