鴛鴨松平家の拠点

鴛鴨城

築城人物     松平 信光
         応仁二年(1468年)築城

主な城主     鴛鴨松平氏   

城の種類     平城

関係人物     松平 信光
         松平 親光 


場所       愛知県豊田市鴛鴨町

鴛鴨(おしかも)城址は近くに高速道路が通り、周り一体が畑や水田に囲まれた所にあります。
東名高速の側道沿いの田んぼの真ん中にある城跡は全国を探しても鴛鴨城址だけだそうです。
場所は愛知県豊田市鴛鴨町にあり、城跡の近くには東名高速と
東名上郷サービスエリア、他に愛知環状鉄道永覚駅(無人駅です)とトヨタ自動車上郷工場がある工業と交通の盛んな所です。
愛知環状鉄道、永覚駅から10〜15分くらい東名高速の側道に向かっていくと、近くに「
鴛鴨城址」と言う看板が目に入ります。
城跡近くには駐車場らしき所はありますが、正直なところ止めて良いか分りません。周辺は余り車通りが多い所では無いので、少しの時間なら駐車も良いかも知れません。
しかし、城跡がある周辺は水田と畑となっていますので、夏場や秋といった農繁期にはあまりおススメは出来ません。



           
<鴛鴨松平家の拠点となる>

鴛鴨の歴史は古く、
縄文時代から集落がある地区です。鴛鴨町の周辺には縄文から弥生時代にかけての遺跡や古墳が集中的に分布しています。
鴛鴨(当時は押鴨)の地が公文書に出たのは
奈良時代であったそうです。
地名の由来は諸説様々ありまして、「
持統天皇が鴛鴨の地を訪れた際に2羽の鴨を見て感動して名づけた」と言う説、「鴛や鴨が多く生息していた」とする説、「鴨部の居住」説などがあり、詳しくは判らないそうです。


この地に城を築城した人は松平家3代目当主の
松平信光で、築城年代は応仁二年頃(1468年)と言われています。
城域は1500坪位で、丘陵地にあって水田や堀に囲まれた造りになっている、室町期によくある城郭であったそうです。
信光がこの地に城を築城した背景には、
挙母(衣)一体に対する防衛拠点補給中継点を築く目的があったと思われます。

信光は鴛鴨城を息子の
親光に与えて守備させました。ここで松平親光を祖とする鴛鴨松平家が分派しました。
鴛鴨城は、初代
親光→二代親康→三代親久→四代忠久と続きました。

忠久の時代に起きた三河一向一揆の騒乱の時には、
一揆側上野上村城酒井将監忠尚に対して、徳川家康は鴛鴨城、隣松寺を拠点に一揆勢と戦闘し、勝利を得ています。その時には鴛鴨城はとても重要な拠点として機能し、鴛鴨松平家の奮戦が勝利を導いたと言っても過言ではありません。

一揆平定後は鴛鴨城は
西尾城配下となり廃城となりました。
鴛鴨松平家の子孫は大名にならず、
姫路藩の重臣や西尾藩の重臣になったそうです。



その後、碧海郡鴛鴨村は
岡崎藩(愛知県岡崎市)、重原藩(愛知県知立市、刈谷市)、大多喜藩(千葉県)、菊間藩(千葉県)、沼津藩(静岡県沼津市)、幕府領などの給地となりました。





            三河國史跡メインへ戻る










100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!