徳川家の譜代藩が治めた城

刈谷城

築城人物     水野 忠政
         天文二年(1533年)
主な城主     水野氏、松平氏、土井氏など
城の種類     平山城

関係人物     水野 忠重
         松本 奎堂


場所       愛知県刈谷市城町

愛知県刈谷市は愛知県の尾張と三河の境目に位置する都市(ちなみに刈谷市は三河地方です)で、江戸時代は刈谷藩と言う譜代藩があった所です。
刈谷の地名の由来は、
この村がまだ
亀村と呼ばれていた頃の元慶元年(877年)、出雲國(島根県)より苅谷出雲守の一族が当地に移住した事から苅谷(刈谷)と呼ばれる様になったそうです。刈谷は凄く歴史のある町なんですね。
ちなみに承応元年(1652年)までは
碧海郡苅谷村と呼ばれていましたが、それ以降は碧海郡刈谷町と呼ばれる様になっています。

幕末には譜代藩でありながら
勤王思想が強い藩となり、日本を維新に動かすきっかけを作った天誅組の総裁の松本奎堂宍戸弥四郎などが輩出されたと言う凄い藩でもあります。
近代になると
豊田自動織機トヨタ自動車の元となる企業)の本社が刈谷に誘致された事もあり、工業、農業、商業ともに大発展を続けています。まさに成長し続ける町です。
さあ、長い歴史がある刈谷のお城の歴史を見てゆきましょう!



             
<緒川城主水野氏 刈谷を拠点とす!>

刈谷と緒川城主の水野家の関係は戦国時代の大永二年(1522年)位からあり、刈谷に水野氏(水野和泉守)の館があった事が分かっています。
その後、永禄十年(1567年)、同十三年、天正九年(1581年)などにも水野氏との関わりが分かる記録が多く有る事から、水野氏は刈谷の町を重要視しているという事が分かると思います。

この周辺に城を建てたのは文明八年(1476年)、時の知多郡緒川城主の
水野貞守が築城したのが最初です。
ちなみにこの城は現在の位置にある刈谷城ではなく、その前身の
刈谷古城と呼ばれている城です。
刈谷古城は貞守の後に
堅正清忠と水野一族が支配しましたが、古城の歴史はあまり長くは続きませんでした。
周辺地域の情勢が不安定になりつつあった天文二年(1533年)に城主の
水野忠政は、周辺に知鯉鮒(愛知県知立市)に至る刈谷街道がある金ヶ小路と言う所に城を築城しました。
この城こそ
刈谷城(別名を亀城と言います)です。そして古城を廃城にして全ての機能を移しました。
この時より、壮絶で波乱な刈谷城の歴史が始まります。



             
<刈谷城の構造など>

刈谷城は
松平(徳川)、織田今川豊臣などと言った大名達に、最重要拠点として見られていた事から、幾度も大きな戦火に巻き込まれています。
その為何度も再建されています。
まず永禄三年(1560年)に起きた
桶狭間の合戦の戦火の為に炎上し、再建。
その後の数多くの戦いを経験した為か老朽化が目立ち、慶長五年(1600年)にも再建しています。
ちなみに刈谷城は、北西の海沿い(当時は海は直ぐそこまであったそうです)に90メートル位の広さの本丸を置き、南側に堀があり、そこにL字型の二の丸があったそうで、その南側には三の丸と居所がありました。
城域は北西40メートル、南北300メートル位あり、本丸近くの石垣はなんと6メートルもする石垣があったそうです。
あとは周囲には土塁を巡らし、北隅には天守の代わりとなる三層の櫓があったそうですが、元禄年間には二層の櫓になったそうです。
ちなみに現在では残念ながら土塁などと言った遺構のほとんどが壊された為に見られず、唯一公園周辺の水堀がその雰囲気を残しているのみとなっています。



             
<目まぐるしく変わる城主>

緒川、刈谷城主の水野氏といえば、戦国時代の三河國岡崎城主松平広忠の正妻で
徳川家康(松平元康)の母で有名な於大の方の生家です。
当時の松平、水野氏も戦国時代の厳しい生き残り競争の為に、家族がバラバラに成らざるおえなかったと言う家でした。そして水野氏も様々な苦難を越えながら徳川の世に至ります。

家康の母の生家と言う家である水野氏はそのまま刈谷城主となる事が出来、初代
刈谷藩藩祖となりました。
その後城主は
水野氏(分家)→深溝松平氏久松松平氏稲垣氏阿部氏本多氏三浦氏とめまぐるしく主を変えてゆきました。そして延享四年(1748年)に三河國西尾より土井氏が入封されると落ち着き、幕末まで土井氏が支配しました。

しかし明治四年の
廃藩置県後は刈谷城は新政府の所有となった為に城郭にあった建造物のほとんどが取り壊されてしまい、廃城となりました。
そして大正二年に
大野介蔵と言う人が所有する事となり、「城址を永久保存する様しよう!」と思い保護をしました。
昭和十一年には
刈谷町(当時は市ではなく町)から公園にしたいと言う意見書が出された為、刈谷町が所有する運びとなり、城址は亀城公園として保存される事になり現在に至ります。(素晴らしい話ですね。)



               
<明智新八、思い書き>

刈谷市は私にとって大切な町の一つです。
私の地元の隣町と言う位置関係もあって、社会人になってからは買い物や遊びに行くとなると、よく刈谷市に行っていますので刈谷は私のライフラインの一つと言っても過言ではありません。
しかし慣れ親しんでいる刈谷ですが、刈谷城は意外にもつい最近まで行った事がありませんでした。
そしていざ行ってみると、それこそ感動の連続でした!
刈谷市は実に多くの歴史があり、史跡も多く残っているのです。地元ながら見落としていた自分を恥じました(汗)まさに「灯台下暗し」です。
刈谷には刈谷城などの史跡や、幕末に活躍した
天誅組総裁の松本奎堂宍戸弥四郎などと言った英雄も輩出したという事で、本当に感動モノです!
刈谷城に訪れた際は是非、
刈谷市郷土資料館へも足を運ばれると良いと思います。場所はお城から道を挟んだ小学校の近くにあるレトロチックな建物です。
そこには刈谷市の歴史を学ぶ事のできる貴重な資料などが展示しており、大変勉強になります。あと、資料館の職員の方も良い方ばかりで、色々と教えて頂けます。
幕末と家康公ゆかりの刈谷はとても楽しい町ですよ〜。







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